物語という呪い~映画『遺愛』レビュー

※本記事は映画『遺愛』のネタバレを含みます

映画『遺愛』観てきました! 初めてじっくり観たモキュメンタリーホラーが『このテープ持ってないですか?』だったのもあり、酒井善三監督と大森時生プロデューサーのタッグと聞いたときからワクワクしておりました。今年は6月から7月にかけて新作ホラー映画が大量に公開されているわけですが、そのなかでもトップクラスに楽しみにしていた作品です。実際に観てかなり衝撃だったというか、咀嚼しようとするたびにそれを拒否されるような構造でものすごく怖かった。考えてはいけない、でも考えなければ結果が変わるかといえばそういうわけでもない。やりきれなさがずっと続く、悲しくて嫌な傑作です。

では、以下にレビューを書きます。

あらすじ

実家で母の介護を続けていた藤井佳奈(山下リオ)が、ある日、妹・杏里(小川あん)のもとを訪ねてくる。
佳奈は血色が悪くやつれた様子で、自分たちの母が“もう母ではない、何かになってしまった”ことを告げる。

父の死を機に実家に戻り、献身的に母の介護を続けていた佳奈。
だが彼女は、話しかけてもほとんど無反応で、食べ物をこぼし、部屋を散らかし、
ときに突然噛みついてくる母に対して次第に苛立ちを募らせ、疲弊していく。

そんななか、佳奈の周囲で不幸な出来事が立て続けに起こり、
彼女はその原因が母――今はもう母ではない“何か”――による呪いだと考えるようになる。
そしてその呪いの次の標的は、一家と懇意の精神科医・熊谷(マキタスポーツ)、さらに次は勇太の番なのだと。

果たして、佳奈が言うように本当に呪いが存在し、家族に危険が迫っているのか。
それとも、介護に疲れ心身ともに限界に達した彼女が生み出した偽りの真実なのか。
佳奈と共に母の暮らす実家へと向かった杏里は、そこで驚くべき光景を目にする。
公式サイトより(https://tx-iai-movie.jp/

ここに書かれている「勇太」とは杏里の息子のことです。物語の前半は佳奈の介護の回想であり、後半は杏里が実家へ向かう現在の話になります。

本作の感想

「呪いなのか佳奈のノイローゼに過ぎないのか」という問いを延々と考えさせられる本作。破られた写真が魔法陣のように散らばっていたり壊した人形の通りに人が死んだり、呪いと解釈できる情報はいくらでもあります。しかし呪いを信じた佳奈の奇行や回想の際に記憶が曖昧になっていることがわかった点など、ただの佳奈の勘違いであると解釈できる情報もあります。特に佳奈は呪いを信じ切っているため前半の回想部もバイアスがかかっていると見てよいでしょう。

問題は、実際に呪いだったにせよノイローゼだったにせよ作中で起きた悲劇を避けることは叶わないということです。もし佳奈が呪いを信じなかったら防げた悲劇もあるかもしれないけど、そうなったらまた別の方法で同じ結末が訪れたのだろうと信じさせるような作品でした。その時点で私も「呪い」を信じてしまっている側なのかもしれませんが。

ちょうどこの作品を観た翌日にフェイクドキュメンタリーQの「MOTHER」を見ました。解釈や考察に夢中になって本筋を見失う男性を描いた作品で、「まず線があってから地図を描いている」という台詞が非常に印象的です。

呪いを信じる人の心が呪いを作り出す。『遺愛』はそんな風に感じられる作品でもあり、考察に溢れた現代社会に対する風刺のようにも思えました。

本作は考察しようと思えばいくらでもできます。しかし、点と点を結んで線にする営みの延長には佳奈の末路があります。それは呪いと解釈してもノイローゼと解釈しても。では、一切の考察をやめて全ての出来事をただの事実として受け止めればよいのでしょうか? それで悲劇を避けることはできないのに、そんなことが果たして耐えられるでしょうか。

私たちは運命に抗うために物語を必要とするのでしょうか。それとも運命を受け入れるために物語を必要とするのでしょうか。映画『遺愛』は現代において人間がいかに運命と、そして物語と向き合うかという大きな問いを描いた作品だと私は読みました。ぜひ、より多くの方に観てほしい、そして何度でも考えてほしいです。


宣伝

noteにてVtuberと呪いをテーマにしたモキュメンタリー小説「Vtuberを呪ってみた」を執筆しました。本当の顔と名前がわからない相手でも呪術を行使することはできるのか? という小説です。

ぜひご一読ください。感想などもいただけたら励みになります。

ラム=ラグドール「Vtuberを呪ってみた」

映画ホラー

Posted by ram_admin